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インタビュー2011-11-01

高須クリニック院長・高須克弥さん
「ボクにとって赤坂は青春の街だった」

1981年、赤坂に開業した美容整形外科・高須クリニック。以来、同院は時代の流れとともに変わりゆく赤坂の街を見守り続けてきた。数々のメディアに出演し、美容整形を代表する医師でもある高須克弥院長に、30年以上勤め続ける赤坂の思い出や自身の活動について話を聞いた。

(編集部注:このインタビューは先日の東日本大震災より前に取材したものです。3月14日には、高須院長自らが震災で怪我をされた方、震災により心のケアを必要としている方に向け、一年間無料診察を行うと発表しました)

■赤坂は華やかな大人の街だった

――高須院長が赤坂で開業しようと思われたきっかけは何ですか?

僕が初めて赤坂にやってきたのは昭和37年、まだ高校生の頃でした。東京の大学に進学するため、受験で赤坂のホテルニュージャパンに泊まっていたんです。翌年の昭和38年には東京オリンピックも開催されて、赤坂も一番活気があった時期でね。学生の僕にとっては夢のような場所でしたよ。大人の街で、華やかなのにどこか落ち着いていて。大学生のときからずっと憧れていて、こんな素敵な街で仕事がしたいと思ったんです。

――開業されてから赤坂の街が変わったという印象はありますか?

すごく変わりましたよ。やっぱりホテルニュージャパンが火災でなくなった昭和50年代辺りからかな。あそこにはブルースカイラウンジというすごく洒落たバーがあってね。そこに行くとカクテルの中に真珠が入っているお酒があった。1500円くらいだったと思うけど、飲み干すと真珠が取れる。女の子をナンパするために、それが欲しくて何杯も飲んでたな(笑)。

――院長にとっての青春の街だったわけですね。

でも、そんなオシャレなお店もなくなって、ずいぶん静かな街になってしまった。ニューオータニのところに並んでいたブランド店も全部閉めましたしね。お店の入れ替わりが激しくなった。昔の赤坂は、ちょうど今の上海のような、胸がわくわくする場所でした。洒落たところで、大人になってからはよく赤坂のディスコだったビブロスやムゲンにも遊びに行ってたな。それに、ナイトクラブ・ミカドの創業者はクラスメイトのお父さんでね。できたばっかりの頃から常連でしたよ。あの頃は芸人や有名人もたくさん赤坂に集まっていて、みんなでよく遊んでいました。

■「YES、高須クリニック」に込められた意味

――赤坂にはTBSがありますが、メディアのお仕事にも積極的ですよね?

僕はメディアに出るようになってから美容整形の仕事を始めたからね。初めは普通の整形外科医だったんです。それなのに『危ない美容法』って著書がベストセラーになったら「美容整形の専門家」としてTVで紹介されちゃった(笑)。それからずっとそっちが専門になっているんです。その頃、TBSにもレギュラーありましたよ。番組終わった後によく向かいのラークっていう雀荘で遊んでました。結構メシもうまかったんです。懐かしいな。赤坂には遊び場がいっぱいありましたよ。でも、みんななくなっちゃった。寂しいね。

――その頃から「YES、高須クリニック」という有名なコピーで活動を?

うん、あれは自分で考えたんだよ。僕は肯定的に物事を考えるのが好きでね。なんでもポジティブな姿勢であることが大切だと思ってるの。日本人って何か言われると、「取りあえず検討します」とか言って保留してしまうでしょ。だけど、どんな難題でも「YES」と言ってからの方がより建設的な話ができるはず。お客さんから「若くなれますか?」と訊かれたら「YES」。「美人になれますか?」「YES」ってね。お客さんの要望にはNOと言わず、すべて答えていきたい。だから「YES、高須クリニック」なんです。

――新しい医療技術をまずご自分の体で試すことでも有名です。

 僕は何でも自分で確かめないと納得できない。もちろん周りは反対しますよ。リスクは高いからね。でも、考えてみてください。シェフだって、客に出す前に自分で味見してからスープを出すでしょ。自分が食えないものを、「こんなもんでいいや」って言ってお客さんに出すのはプロがやることじゃありませんよ。どんなことでも、自分と自分の家族にやれないことを人にやるもんじゃない。自分の体で試して、「ああ、これはいい」と思えたときに初めて本物の技術になるんです。

■周りに流されないことが長く経営を続ける秘訣

――先日、パプアニューギニアに学校を建設されたと伺いましたが、そうした社会貢献活動を熱心に行う理由は?

 困っている人を助けてあげたいんですよ。幼い頃から母親に人を喜ばせるのが何よりも大切だと教わっていましたし、人に喜ばれると嬉しいからね。阪神大震災のときも、1年間は向こうの高須クリニックを無料で被災者に開放したりしていました。震災では、ガラスで顔や体を切ってしまった人も沢山いてね。そういった外傷を負った人たちを助けてあげたかった。

――そうした活動は若い頃からされていたんですか?

 ずっとしてますよ。去年もあちこちに数億円寄付しました。僕はもともと貯蓄ってものに興味がないんです。だって死んじゃったら、あの世に持っていけないじゃない。だから、生きている内にいっぱいいいことをして、神様に褒めてもらおうと。赤坂でもビッグイシューを売ってるホームレスの人いるじゃない? あれも僕は買うしね。つまり、この世で寄付したり、いいことをすると、あの世に積み立てができるってことです。あの世とのマネーロンダリングだよ(笑)。

――最後に、30年近く赤坂の地で営業されていらっしゃいますが、長く経営を続ける秘訣があれば教えて下さい。

 自分のスタイルを変えないことですね。開業当初からずっと、高須クリニックは1円も施術料金を変えていないの。全部値段は一緒。インフレになったときも、バブルのときも、それが崩壊したときもずっと同じ値段で続けてきた。安売りしてはいけないし、高飛車になってもいけない。周りに左右されずに、頑固に値段を変えずにいると、信用が生まれる。それが長く続ける秘訣かな。



■高須克弥さんプロフィール

1945年愛知県生まれ。昭和大学医学部卒業。同大学医学研究科博士課程修了。大学院在学中から海外へ研修に行き、最新の美容外科技術を学ぶ。1976年に愛知県名古屋市で高須クリニックを開設。79年に大阪市北区、81年に東京都の赤坂など全国に医院を展開。日本美容外科医師会事務局長、日本美容外科学会専門医、日本美容外科学会専門医制度審議委員会委員長などを歴任。テレビなどのメディアを通じ、日本に美容整形を定着させた立役者として知られる。

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