作家の開高健さんが通ったことで知られる赤坂のバー「木家下(こかげ)」(港区赤坂4、TEL 03-3582-5944)の女性店主・木家下玲子さんが5月末で引退する。
1977(昭和52)年、赤坂・一ツ木通り沿いのビル5階に玲子さんのご主人・正敏さんがオープンした同店。1993年にはビルの建て替えに伴い、同通り向かいの現在の場所に移転した。多くの常連客から長きにわたり愛され、2000年に正敏さんが心臓の病で亡くなった後も、玲子さんが経営を引き継ぐかたちで営業を続けてきた。
同店では、木製のカウンターや店の扉、椅子に至るまで、開店当初から同じものを使い続けている。玲子さんは「こういうバーは変わらないことに価値がある。値段も主人がオープンしたときからほとんど変えていない」と話す。
L字型のカウンター、その奥から2番目の席には「Nobless Oblige~位高ければ、努め多し~」という開高さんの言葉が刻まれたプレートがはめ込んである。開高さんはこの席にいつも座り、お気に入りのドライマティーニを飲んでいた。現在は「開高マティーニ」と名を変え、同店の人気メニューの一つとなっている。
主人の正敏さんは1989年に開高さんが亡くなった際、雑誌に追悼文も寄稿。玲子さんにその文章を見せてもらうと、「いつも同じ席に座って本を開き、くくくと笑いをこらえながら読んでいた姿が印象に残る」とあった。店内には正敏さんの遺影もあり、開高さんの大きなモノクロ写真の隣に飾られている。
今年に入り、健康上の理由から引退を決めたという玲子さんだが、「できれば『木家下』という名前は残したい」との考えから、5月半ば、渋谷でバー「松濤(しょうとう)倶楽部」を営む児玉亮治さんに後を託すことに決めた。
「正敏さんが存命のころ、何度か通ったことがあった」と児玉さん。30代という若さながら店を継ぐことを決めた理由については、「『木家下』のように歴史のあるバーが無くなってしまうのが、同じバーテンダーとして残念だった」と話す。
正敏さんの通夜の日も店を開け、リーマンショックや東日本大震災後の不況にも負けずに経営を続けてきた玲子さん。引退を間近に控えながらも、「私は経営から身を引くが、店を託すことができて本当にうれしい」と笑顔を見せた。
営業時間は18時~24時。土日・祝日定休(5月末まで)。6月以降の定休日などは店舗で確認できる。