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「赤坂見附を“アパサカ見附”に」
創業50周年「アパホテル」元谷芙美子社長が赤坂に抱く夢

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高品質・高機能・環境対応型を理念とする“新都市型ホテル”として全国に667ホテルを展開する「アパホテル」。実は、赤坂に本社を置いていることをご存知でしょうか? 1971(昭和46)年、石川県小松市で「信金開発株式会社」として創業し、2002(平成14)年に本社を赤坂に移転。創業して50年、同社はどのように歩んできたのでしょうか。社長の元谷芙美子さんにお話を伺いました!


赤坂は憧れの街だった


「アパホテル株式会社」取締役社長の元谷芙美子さん

 

―――まずは御社の黎明期について教えてください。
元谷社長(以下、敬称略):もともとは「信金開発株式会社」として創業し、住宅ローンをセットにした戸建注文住宅と建売住宅、分譲地の企画販売をしていました。創業から13年が経った頃に実は一度、マンション事業で赤坂に進出したのですが、不況の煽りを受けて、金沢に戻してしまったんです。


創業時
 

―――赤坂に一度、進出していたのですね。なぜ再び赤坂に移転されたのですか?
元谷:赤坂には、ずっと憧れがありました。加えて、赤坂と隣接する永田町エリアは、司法・立法・行政の各省庁が集まる日本の中心ともいえる場所ですから、本社を構えるのにも最適な立地だと考えていました。そのため、金沢へ撤退したあとも、密かに再挑戦の機会を伺い、1997(平成9)年に「アパ株式会社」に称号変更したのち、2002(平成14)年に赤坂に再上陸したのです。

 

成功の要因は赤坂に本社を移したこと

―――業界内での認知度は着実に上がっていると思います。その勝ち筋はどこにあったとお感じになりますか?
元谷:赤坂の一等地に本社を構えられたことは、当社のブランドアップに大いにつながったと考えています。特に本社機能を赤坂に移してからは、日本の中心地だけあり、ヒト・モノ・カネが集積し、不動産の情報もたくさん入るようになりました。業界でトップになるためには、この地が必要だと早くから見極められたことも成功につながったと感じていますし、他のホテルとは違うシステムを導入できたことも成功の要因となっていると思います。

本社移転時


先を見据えた投資や「持つ経営」での展開

―――「他のホテルとは違うシステム」とは具体的にどのようなものだったのでしょう。
元谷:当社では、第1号ホテル「アパホテル〈金沢片町〉」を1984(昭和59)年12月に開業した際に「ホテルで成功するにはどうしたらよいか」を考え、他ホテルとの差別化をはかるため、業界に先駆けて「キャッシュバック付き会員システム」を導入しました。これは会員になるとキャッシュバックを受けられるというもので、新規集客やリピーターの獲得にもつながりました。そして現在では、さらなる会員サービスを展開した結果、累積1900万人を越えるお客様がアパホテル会員としてご利用いただいております。


『強運 ピンチをチャンスに変える実践法』など、これまでに3冊の本を上梓する元谷さん

 

元谷:また、当社ではホテルを自社で開発し、ホテルを所有するといった「持つ経営」をモットーに展開を続けています。直営ホテルのほとんどを自社で所有しているため、ホテルを借りて運営するホテルや、ブランドを借りてロイヤリティを支払っているホテルと比べると収益力は高く、減価償却や節税にもつながります。これにより強い財政基盤を確立し、積極的な新規出店が可能になっています。

―――なるほど。他にはどのような先駆的な取り組みをされてきたのでしょう。
元谷:ITによる自動化への先行投資も行なっており、2016(平成28)年からは自動チェックイン機も積極的に導入しています。当社では、コロナ禍以前から"自動チェックイン機の非接触化"を実施していたのです。それというのも、第一号ホテルを開業当時(1984年)から、より少ない人員で効率的な運営を行うローコスト経営を目指しており、このような先を見越した投資や戦略を行ってきたことが今につながっているのだと思います。ちなみに、当社は創業から50年、一度も赤字を出したことがありません。


赤坂見附を“アパ坂見附”にしたい


2017(平成29)年に本社ビル1階にオープンした「アパ情報館」

 

―――今後、赤坂の街にどう関わっていきたいとお考えでしょうか?
元谷:「渋谷といえば〇〇ホテル」「新宿といえば〇〇ホテル」など、どの街にもそのエリアに強いホテルが存在していると思います。同じように私たちは、「赤坂といえばアパホテル」というブランド展開を続けてきました。2017(平成29)年にはアパグループの情報発信拠点として「アパ情報館」をオープンし、新年のお参り時期には社員とで日枝神社へ足を運ぶなど、街とのつながりは常に意識しています。これは、これからも欠かさず続けたい活動です。

 そして、街には賑わいが必要です。だからこそ、多くの人が集まる環境作りも大切でしょう。赤坂は皇居も近く、日本中、世界中からたくさんの人が集う場所ですから、賑わいの種は至る所に落ちているはず。当社としても、地域の飲食店や商店と協力して、赤坂により多くの人の流れを作っていきたいです。この街には品のある素敵な方が多く、本社の前で私のことを見つけると手を振ってくださる方もいらっしゃいます。そんな温かい交流を育めるこの赤坂の地で、さらに地域に根付いたホテルにしたい――「赤坂見附といえばアパホテル」といったイメージを確立したいです。いずれは赤坂見附の地名を“アパ坂見附”に変えたいですね(笑)。


「ホテル大学」を設立して人材育成したい

―――最後に、今後挑戦していきたいことや挑戦したい分野についてお聞かせください。
元谷:これまでさまざまな国を訪れてきましたが、日本ほど誠実で勤勉な国はほかにありません。だからこそ日本という国は誰からも愛され、世界中に日本のファンがいるのです。であれば、コロナ禍が終息すれば観光客はこれからも増え続けるでしょうから、私たちは今後もホテル業界に注力をしていくつもりです。国内ホテルチェーンナンバーワンのアパホテルでも、現状のシェアは8%程度。20%を目標にこれからも頑張っていきたいです。

―――今の倍以上のシェア獲得を目指していらっしゃるのですね。
元谷:はい。現在建設中のホテルだけでも1万室以上に上りますから、4年後の2025年には、パートナーホテル含め客室数15万室の展開を目指しています。また、個人的には、将来的に「ホテル大学」を創設したいです。在学中から自社でホテル実習を行なったりと、より専門的な事を学べる場を作り、ホテル業界で活躍する人材を一から育成していきたいと考えています。

―――ありがとうございました!

<プロフィール>
元谷芙美子(もとや ふみこ)
1947(昭和22)年生まれ。福井県出身。高校卒業後、福井信用金庫で働く。1970(昭和45)年に元谷外志雄さんと結婚。翌年に夫が起業した「信金株式会社」(現アパ株式会社)の取締役を経て1994(平成6)年に「アパホテル株式会社」取締役社長に就任し、現在に至る。
 

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