コンセプトである“心美人”に惹かれ応募を決意
――ミス日本に出場を決めたきっかけは?
最後の夢への挑戦と思い応募しました。また、それがかなうならば、夢への始まりになります。コンテストは外見だけを見られるものと思い、「自分が出るような場ではない」という不安もありましたが、ミス日本のコンセプトである「前向きに努力できる心美人」というのにも引かれ応募したいと思いました。
――上智大のミスソフィアコンテストには出場されませんでした
ミス日本の地方予選とミスソフィアの本選が重なっていたこともありますが、ミスソフィアへの出場は考えませんでした。自分の夢に近い、自分が向いているのはどちらかを考えた時、ミス日本への出場に絞りました。それぞれ過去の受賞者などを見てイメージわいてきて、「自分がこうなりたい!」という思いにそのまま当てはまったのがミス日本でした。
――歴代の受賞者で影響を受けた方や尊敬されている方は?
わたしが生まれた年である1986年にグランプリを受賞した中村麻美さんです。新聞連載で「天地人」の挿絵なども描かれていて、その方のお話が素晴らしいものでした。「わたしは他の出場者の中でも一番年上だった。スタイルが良かったわけでもない。特技を披露する際、大学で英文学を専攻していたので、翻訳した紙芝居で『人というのは皆、良いほうに向かっていく線を求めている』というようなことを披露したのが良かったと思う、フフフ」なんておっしゃっていたんです。それがとてもチャーミングで、けれども控えめで心に響きました。例えば日本の首相でも、会社員でも、主婦でも、人はそれぞれが良いものを目指してお仕事されていますよね。わたしは大学で倫理学を専攻しているので、とても共感しました。
学んでいることは、全て繋がっている
――なぜ、倫理学を勉強したいと思ったのですか
高校時代はインターナショナルなクラスで学んでいたので「貧困で苦しむ人たちのために!」とか大きな外の世界にばかり目が向いていました。そんななか「日本はどうなんだろう」「自分が住んでいる街ってどうなの」と考えた時、自分の身近な場所から変えていくことが、いずれ世界平和に繋がっていくはず。それが大事なんじゃないかなと思うようになったんです。自分が良いもの、正しいものを実践していこうと、そういったことも学べる倫理学を専攻しました。
――学業との両立は大変だったのでは?
それは全く問題ありませんでした。学校での授業もミス日本での勉強会も、学んでいることがすべてつながっていくんですよね。マナーや経済、お化粧などの勉強会では、もちろんそれぞれに専門知識を教えてくれますが、最後には必ず講師自身の言葉を伝えてくださって。皆さん共通して前向きな言葉や、純粋な言葉だったりします。アイメディア勉強会で同じ香川県出身の原田さんという方は、経済の難しいお話をされていましたが、最後に「一人ひとりせっかく命を与えられて生まれてきたのだから、その一つひとつの命を大切にしていく社会でなければいけない」とおっしゃっていて、改めて考えさせられました。学校とミス日本コンテストを別々に考えていたら大変だったかもしれませんが、わたしの専攻する倫理学にすべてつながっていたように思います。
――コンテストでは「うどんアピール」もされていましたね
香川県出身なので「チャームポイントは、うどんのように白く、もちもちとした弾力のある肌」と言ったんです。それがメディアで大きく取り上げられてビックリしました(笑)。ちなみに好きなうどんは、温かいうどんに温かいかけつゆをかけた「かけ温かいうどん」です。
女優はあくまでも手段。みんなが幸せになれる社会をつくりたい
――プライベートはどうお過ごしですか?
地味ですが歩くことが好きなので、歩いています。学校がある四谷から新宿まで歩いたり、新宿から渋谷まで歩いたり。こういう機会じゃないと、なかなか体を動かすことってないので。友達と一緒に歩きながら、いろいろな話をします。対面ではなく横に並びながら話していると、普段言えないようなことも話せたりしませんか? そういう時間が好きで歩くのかもしれません。手紙もよく書きます。両親には、結婚記念日、誕生日などイベントごとに香川に送っています。祖父母にもありがとうと感謝の気持ちを手紙に託しています。元気がない友達や誕生日の友達に書いたりもします。友達もくれるので、贈り合う感じですね。手紙ってずっと残るものなので、なるべく言葉を選んで書くようにしています。手紙を送ることで反応があるので、それもまたうれしいんですよね。
――ミス日本になるまでに、変わったことは?
良いことも悪いことも、一つひとつ言われたことをよく考えるようになりました。コンテストの前日は清々しい気持ちだったのを覚えています。当日はもちろん緊張しましたが、この半年間、一生懸命に毎日を生きてきましたし、いろいろなことに敏感になって一つひとつと向き合ってきたという確信はありました。当日の質疑応答のために事前に答えを用意した方がいいんじゃないかとも考えましたが、前日に焦っても23年間生きてきた中で、すぐに何かが変わるわけではありません。自分の思いをゆっくり、短くまとめて言えるようにすればいいと、心の中で一人静かに対策を立てていました。
――グランプリを受賞されて、周囲の反応は?
メールや手紙、電話でメッセージが届きました。「わたしも史乃みたいに夢がある。今いる場所から違う場所を目指すことは大変だし恐いけど勇気をもらった」とか「『とりあえず』という言い訳を辞めたい」とか、自分の夢をすごく長く書いてメールをくれた子もいました。わたし自身、悩みを人に言う方ではないので、コンテスト出場の事も言ってなかったんです。周りはそれを理解してくれているので「史乃らしいやり方だった」と言ってグランプリを受賞したことも喜んでくれました。グランプリをいただいたことはもちろんうれしいですが、そんな風にみんなが少しでも思ってくれたことが何よりもうれしかったですね。
――最後に、将来の夢を聞かせ下さい。
一言で言えば、女優になることです。凛として大人なのにチャーミングさもあるオードリー・ヘップバーンが大好きで・・・。彼女はユニセフの親善大使としても働いていましたが、わたし自身もみんなが幸せに生きられる社会を創っていきたいと強く願っています。大勢の人に「幸せになろうと思ったらなれるんだ!」というのを伝えていきたいと思った時、わたしは手段として女優を選ぼうと決めました。いろいろな方と出会うなかで得るものも多く、発信した時の影響力も大きいものだと思っています。内面を磨くことが外見の魅力にも繋がっていくことをこの半年間で多く学びました。それを長いスパンで人生をかけて勉強していきたいですね。
ミス日本公式サイト